仏さまがご一緒のみ教え(北島文雄 宗祖降誕会2026)

仏さまがご一緒のみ教え(北島文雄 宗祖降誕会2026)

仏さまがご一緒のみ教え

北島文雄(宗祖降誕会2026より)

 

浄土真宗は「仏さまとご一緒の教え」というよりも「仏さまがご一緒の教え」です。

 

たとえばテレビ番組「お母さんと一緒」。
このタイトルがもし「お母さんが一緒」だとどういう感じがするか。

 

「お母さんと一緒」は「お母さんと一緒にいたい」という感じに対し、
「お母さんが一緒」だと……お母さんが少し無理矢理いる感じがします。

 

なぜそういう感じがするか。
主語・述語をはっきりさせればわかります。

 

「お母さんと一緒」は、「私がお母さんと一緒にいる」という言葉であり、
私が主人公の話、私から出発する話なのです。
私がいたいか、いたくないかが問題です。

 

それに対して「お母さんが一緒」という言葉は、
「お母さんが私と一緒にいてくれる」という言葉であり、
お母さんが主人公、お母さんから出発する話です。
私が一緒にいたくなくても、いたくても、
お母さんの方が「あなたといたいのだ」として一緒なのです。
これが「お母さんが一緒」という言葉です。

 

「仏さまとご一緒の教え」と「仏さまがご一緒の教え」も同様です。

 

「仏さまとご一緒」と言ったら、
私が仏さまとご一緒するのです。
私がすることなのです。

 

ところが「仏さまがご一緒」となると、
仏さまが私とご一緒くださるのです。
仏さまが主人公の話であり、
仏さまから出発する話なのです。
私が仏さまと一緒にいたかろうが、いたくなかろうがどうだろが、
仏さまの方が「あなたといるのだ」といてくださるお話なのです。

 

この仏さまのお話を聞いていく者は
悲しみの人生は変わりませんが、
悲しみの人生は“仏さまが一緒”の人生に作りかえられます。
そうすると、
たった一人で寂しいときも、そこに仏さまがご一緒くださっているのです。
私が忘れていても仏さまがご一緒くださっています。
私が苦しい思いをかかえて「誰も私の気持ちを分かってくれない」と涙を流す時も、
仏さまがご一緒くださっています。

 

行き詰まってうごけぬので
うごかずにいたら
阿弥陀さまもここで
私といっしょに
うずくまって御座った(『常照我』樹心社)

カテゴリー:法座の言葉

投稿日:2026年06月01日