聞き上手

聞き上手

【聞き上手】

 

Sさんは昔、叔父さんから「女性にもてる極意」を教えてもらいました。

それは「聞き上手」であること。

 

1 話を遮らない:相手が話し終わるまで、途中で自分の話をかぶせない。

2 共感と受容:相手の感情や立場に寄り添い、否定せずに受け止める。

3 適切な相づちやリアクション:「しっかり聞いている」というサインを送る。

4 自分の話をあまりしない:求められない限り自分の話へ話題を切り替えず、相手に主役をゆずる。

 

S先生はそれをしっかり守っておられます。

 

ただ生来のお話好き。

「○○はどうされてますか?」「△△はお好きですか?」

話題が豊富でつきません。

相手に話を引き出させすぎてしまいます。

そうなると「聞き上手」が「訊き上手」に。

相手の女性も少々お疲れになってしまうようです。

「聞き上手」の道は難しいようです。

 

【受容】

 

「聞き上手」の中心は「共感と受容」です。

これが身につけば、相手の話をさえぎらず、リアクションも自然に出ますし、

自分の話題にすり替えてしまう癖があっても控えるのです。

しかしこれがなかなか難しいのです。

 

赤の他人の場合、所詮「赤の他人」と思うと、「共感・受容」なく聞いてしまいます。

では友人・知人、家族なら良いかというと、今度は油断してしまい、「共感・受容」する前に自分の話題、意見が言いたくなります。

「いや、私はこう思う」

「私の場合、こんな事があった」

「私だったら、こうするね」

 

そして疲れていると、ますます油断します。

相手が悩みや愚痴を口にしても、受け止める体力がなく、

たとえば「疲れた~」と言われて、即座に「私だって疲れたよ」と返してしまえば……あとは大変です。

 

【お聴聞】

 

ところで、お寺の法座はお聴聞の場です。

そこでは自然と「聞き上手」の極意を知ります。

すなわち「お救いにあずかる方法」です。

 

『歎異抄』にこんな有名な言葉があります。

 

聖人(親鸞)のつねの仰せには、「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとへに親鸞一人がためなりけり。されば、それほどの業をもちける身にてありけるを、たすけんとおぼしめしたちける本願のかたじけなさよ」

 

お経に説かれる弥陀如来の本願の物語。

自らの業によって苦悩している衆生をみそなわし、

そんな者を誰一人としておとすことなく救うにはどうすればよいかと、

五劫という時間をかけて考え続けられ、

その思いを48の願いとしてあらわされた法蔵菩薩、すなわち後の阿弥陀如来。

そのように始まるこの物語は、誰のための物語か。

それはほかでもなく私一人のためでありましたと聞かれた親鸞聖人です。

 

阿弥陀如来の物語は、やはり物語ですから、

世間でいう「架空の話」「作り話」と混同し、疑うのは当然です。

それを布教使はそういう意味ではない事をお伝えします。

高僧方の解釈、物語の裏の真実を、

平易なたとえ話や、その物語に関連した様々なドラマをもって取り次ぎます。

疑いがいつしか「共感と受容」に。

そして「この話はほかでもなく私のための物語だ」という共感と受容です。

 

私事と聞かされてていく阿弥陀如来の物語。

その内実を「本願力回向(ほんがんりきえこう)」といいます。

私が功徳を積むとか積まないという話ではなく、

仏が功徳を積んで余すところなく私に転回して振り向けておられるという、

仏様の人情ならぬ仏情(ぶつじょう)の話、お慈悲の話です。

従来とは真逆の論理、

凡夫の私が思いがちな「さとりの本質」が変わる、

他力の視点をいただく浄土教です。

 

(おわり)

カテゴリー:法話

投稿日:2026年09月14日