聴食
「聴聞は食事のように、お念仏は呼吸のようにいたします。」(Tさん)
【サ行のアミダ】
秋になると思い出す葉山真理さんの詩「サ行の秋」。
(月刊誌『PHP』 2006年9月号に紹介されたようです。)
| 秋刀魚・新米・さつま芋 食欲の秋に、秋分の日。 生姜・鯖・里芋。 今年もサ行の秋が実りました。 |
なんだかお腹がすいてくる詩です。
その「サ行の秋」にヒントを得て昔つくったのが「サ行の阿弥陀」でした。
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サ行の阿弥陀 みつお
さ:支えてくださる。
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今生、たくさんのお陰があってお遇いした阿弥陀という仏さま。
無量の光をもって、いつでも支えてくださいます。
無辺の光をもって、苦悩の私を知ってくださっています。
無碍の光をもって、お浄土で私を仏とする功徳をふりむけ、
「大丈夫」と背中を押し、育ててくださいます。
10月となり、自坊では親鸞聖人の御命日法要、
「お取り越し参り」が始まりました。
どの家も丁寧にお仏壇がおかざりされています。
きれいにととのったお仏壇の前に座らせていただきながら、
「ここにも『サ行の阿弥陀さま』がおられるな」と、
お念仏申し、合掌し、しみじみ仰がせていただく事です。
僧侶になって約30年。
住職になって約20年。
たくさんの方々の法事や葬儀、仏縁をいただき、
亡き方々、多くのいのちのおかげでお念仏喜ぶ身とならせていただきました。
【食前のことば】
浄土真宗には「食前のことば」というのがあります。
食事の前に全員で合掌。
代表して一人が、
「多くのいのちとみなさまのおかげにより
このごちそうをめぐまれました。」
と言うと、全員で、
「深くご恩を喜び ありがたくいただきます」
礼拝していただきます。
ところで2009年以前は、こんな「食前のことば」でした。
「み仏とみなさまのおかげにより、このご馳走をめぐまれました。
深くご恩をよろこび、ありがたくいただきます。」
少し議論がありました。
「なぜ“み仏”を消したのか。」
それで人によっては新しい「食前のことば」になっても従来のものを使用したり、
「み仏と、多くのいのちとみなさまのおかげにより、このごちそうをめぐまれました。」
と「み仏と」を加えたりする方もおられました。
「み仏」という言葉がなくなったのは、
今の人たちにはなじみがないから、
時代の流れで仕方がない・・・と勝手に思っていました。
しかし考えてみると、
この「食前のことば」は誰に言っているのでしょうか。
それは現前の如来さま、
南無阿弥陀仏の仏様です。
「(如来さま、私は)多くのいのちとみなさまのおかげで……」
仏様は「み仏と……」と3人称でおられるのでなく、2人称としておられます。
ちなみにわが家でかつて使っていた、
俵山和上考案(?)の「食前のことば」。
「お陰さまでご馳走にあずかります。
(全員唱和)
如来さま、ご開山さまいただきます。みなさまいただきます。」
阿弥陀さまだけでなく親鸞聖人にも「食前のことば」、御礼を申していました。
【聴食】
さて、「こしょく」という言葉が話題になって、かれこれ10年になるでしょうか。
「こしょく」とは、すなわち「孤食(こしょく)」。
孤独食の略で、特に子供が一人で食事することを意味します。
食生活が変わり、家族が揃うことがなくなった日本の食卓。
また仕事が忙しく、パパッとすませる一人の食事。
そんな現代の日本の食生活を警鐘した言葉です。
「こしょく」は他にもあります。
・個食(こしょく):個々食。外食等で、家族それぞれが異なったものを食べる。
・固食(こしょく):固定食。好きなものだけ食べてしまう。
・粉食(こしょく):粉物食。パンや麺類などばかり食べてしまう。
・小食(こしょく):食欲がなく、少しの量しか食べない。
・濃食(こしょく):濃厚食。味の濃い物ばかり食べる
心身に良くないとされる食事の形です。
それに対して、
正しい食生活をすすめる言葉が「きょうしょく(共食)」です。
家族などと食卓を囲み、会話を通して心を満たします。
協調性や社会性も育ちます。
生活習慣病や偏食防止にもつながるとされます。
ところで「食前のことば」は、一人で食事する時にも言います。
そこにはいつでも阿弥陀さま、親鸞さま、
数え切れない多くのいのちの方々が一緒です。
一人の食事であって、孤食ではありません。
仏の教え、いのちの意味を聞く食事、
すなわち「経食、教食(きょうしょく)」、
そして朝ではなくても「ちょうしょく(聴食)」です。
(おわり)
カテゴリー:法話
投稿日:2026年10月01日