彼岸と悲願

彼岸と悲願

【春の花いろいろ】

 

先日、幼稚園の先生が園に花を持ってきて下さいました。
桃色の花でしたので、
「きれですね。桃の花ですか?」
「いえ、梅の花です。」

「……なるほど。」

 

数日後、隣町に届け物に行った際、
その方の家の前の樹木が満開でしたので、
「見事ですね。サクラですよね?」
「いえ、プラムです。」

 

そして先日のご法事。
床の間にきれいな花がいけてあり、
「これは桃……いや梅ですか?」
「いえ、ボケです。」

 

全戦全敗でした。

 

【仏像いろいろ】

 

花は好きなのですが、なかなか見分けがつきません。

 

ところで皆さんは、仏像の見分けがつきますか?

 

浄土真宗のお寺のご本尊は、お釈迦様?阿弥陀様?薬師如来?
浄土真宗のお寺は必ず阿弥陀さまです。

 

かくいう私も他のお寺にいうと「?」になります。
今年1月21日訪れた東寺にある立体曼荼羅。
中心の大日如来は分かりますが、周りの仏像は……どれが阿弥陀如来?

 

お釈迦様と阿弥陀さまの見分け方として、
分かりづらいですが手の形(印)が違います。
また仏像の背中、光背に48の放射状の線があれば阿弥陀さまです。
分かりやすいのは台座です。
蓮の台座なら阿弥陀さま、そうでなければお釈迦様です。
(……あくまでお釈迦様と阿弥陀様の仏像を見分ける場合です。)

 

【真の仏弟子】

 

釈迦弥陀は慈悲の父母
種々に善巧方便し
われらが無上の信心を
発起せしめたまひけり

(現代語:釈尊と阿弥陀仏は慈悲深い父母である。
 巧みな手だてをさまざまに施し
 わたしたちにこの上ない真実の信心を
 おこさせてくださった)

 

浄土真宗で法事の始めによく唱えるのが三奉請(さんぶじょう)です。

 

 奉請 弥陀如来 入道場 散華楽
 奉請 釈迦如来 入道場 散華楽
 奉請 十方如来 入道場 散華楽

 

阿弥陀さまとお釈迦さま、そしてその他すべての仏さまという意味での十方如来。

 

阿弥陀さまとお釈迦さまの関係はというと、
お釈迦様は私のために阿弥陀さまの教えを説いてくださり、
阿弥陀様は私のために本願を建て、お浄土を建立されました。
前者は「教主」、後者は「救主」といいます。

 

親鸞聖人の書物『教行信証』の信巻に、
次のような言葉が述べられます。

 

「真の仏弟子」といふは、
真の言は疑に対し仮に対するなり。
弟子とは釈迦・諸仏の弟子なり、金剛心の行人なり。
この信行によりてかならず大涅槃を超証すべきがゆゑに、
真の仏弟子といふ。

 

仏教徒とは仏の弟子を指しますが、
法名(戒名)は必ず「釈○○」と釈の字がつくように、
特にこの世の私たちにとって、師はお釈迦様です。

 

ただ弟子といっても、
中には仏さまの話を聞いていなかったり、
自分勝手に聞いてしまう弟子がいます。
それでは弟子といったも弟子ではなく、
仮の弟子、もしくは偽物です。
結果が伴わないからです。

 

お釈迦様のお話、それは阿弥陀さまという他力の救いの話です。
煩悩から離れられない凡夫の私を、
だからこそ救いたいと願い、
南無阿弥陀仏の名号となって私に到り届き、
摂め取って捨てない仏さま、お慈悲の仏さまのお話です。
自力のはからいをすて、ただちに他力のはたらきにまかせます。

 

ちなみにここでいう2つの関係はイコールであり、0と100です。

すなわち他力に帰する事と自力を捨てる事は同じ事であり、

他力が100%で自力は0%です。

もちろん他力に50%帰するなんて、逆に難しいのですが。

 

人生の行く末に際し、
死に帰すのでも、無に帰すのでもなく、
南無阿弥陀仏の名号に帰命す、すなわち名に帰すのです。

 

お釈迦様は「弥陀へ行け」といわれます。
阿弥陀様は「われに来い」といわれます。
この二仏の仰せの通り、西方浄土へ参る道、
それがお念仏の道です。

 

【ひがん】

 

春のお彼岸の時期です。
国民の休日にもなっているお彼岸。
仏さまの教えが聞きやすい時期です。

 

彼岸(ひがん)と悲願(ひがん)は音が同じです。
お釈迦様の彼岸の教え、西方に阿弥陀仏ましますというご説法を聞きつつ、
「南無阿弥陀仏」を称え、
阿弥陀様の悲願の声、「われにまかせよ」という喚び声を聞きつつ、
「南無阿弥陀仏」と報恩の喜びをかみしめたいと思います。

 

(おわり)

カテゴリー:法話

投稿日:2026年03月24日