お念仏の豆まき

お念仏の豆まき

【正体不明】

 

2月3日は節分です。
節分といえば豆まき。
そして園長になった2年前から、この時期、鬼の着ぐるみをきて幼稚園で暴れています。

 

節分の前日、子ども達がたずねてきます。

「鬼の中、園長先生なんでしょ?」
笑顔で答えます。
「さあ、どうかなー。」

 

お昼の1時半、各クラスを訪問しました。
「鬼は外!」
豆(ではなく新聞ボール)を投げてくる子ども達。
かまわず子ども達につっこみます。
必至に逃げる子ども達。
怪我をしないように慎重に追いかけます。

 

泣き叫ぶ子ども達。
しかし、それほど怖がらない子がいました。
親から「鬼の中は園長先生だよ」と知らされているのです。
逆に、正体不明というのは怖いものです。

 

……私たちは死が怖いです。
それは正体不明だからです。
誰も行って帰ってきた人はいません。
では死んだらどうなるか分かれば安心でしょうか。
……いえ、かえって逃げたくなるかもしれません。

 

【閻魔帳】

 

鬼といえば地獄の閻魔大王。
亡くなった人の生前の業を裁くので「閻魔法王(ほうおう)」とも言われます。
もっている閻魔帳には、私の事がすべて書かれてあるそうです。

「ほう、おぬし、天国に生まれたいと?
天国は善業を積み重ねたものが参れるところだ。
これだけウソの罪を重ねておいてよくも申したな。
この閻魔には分からないと思うてか。
何?忘れた?
この鏡を見てみよ。この悪口雑言を言っているおぞましい人間がお前だ。
生き物の命を粗末にした罰は数知れず。
何?仕方なかった?
ではこれはどうだ?この殺生も仕方なかったのか?
見ろ!この無慈悲に命をもてあそぶ姿を。
天国なぞ到底無理よ。
地獄に行って、つぐなってこい!
その前に、おい鬼ども、こいつの舌を引き抜け!」

恐ろしい閻魔さまです。

 

【南無阿弥陀仏をとなふれば】

 

そんな閻魔大王の事が出てくる親鸞聖人の和讃があります。

 

南無阿弥陀仏をとなふれば
閻魔法王尊敬す
五道の冥官みなともに
よるひるつねにまもるなり

 

「ほう、おぬし、浄土に生まれたいと?
浄土は阿弥陀如来の願力によって参れるところだ。

それを承知の上で申しておるのか?

……おぬし、そうとうの悪を重ねたな。
だが親の葬儀や人生の苦悩を縁に、
仏法聴聞したようじゃの。
悪人・凡夫の自分と聞き、その自分めあての如来の願いとはたらきがある事。
よくよく聞いて、うなずき受け止めたようじゃの。
わしにはお前の心の中にある他力の信心、よく見えるぞ。

(イスから立ち上がり、近づく閻魔さま)

……よくぞ「南無阿弥陀仏」を喜べる身となられた。
自力をすて他力に帰する、本来ならば到底無理な事よ。
おぬし、浄土へ往生し、仏となって、あらゆるいのちをお救いなされよ。
その前に、おい皆の衆、みなでお念仏をしようではないか。」

合掌をする閻魔さま。
お念仏者の死後の一場面と想像することです。

 

【真宗の依報】

 

2月3日は節分です。
節分といえば豆まき、そして恵方巻。
毎年いろんな方角を「恵方」として、
そちらの方を向いて巻き寿司を食べる伝統があります。

 

そして2月4日は「24(にし)の日」です。
浄土真宗に恵方があるとすれば「西」1つです。
西は依報(えほう)、すなわち阿弥陀仏のお浄土の方向です。
西に向かってお念仏。
閻魔法王はじめ、あらゆる鬼神と共に喜びあえる世界です。

 

今日もお念仏というお慈悲の豆をまき、
正体不明に怖がるいのちの行く末から、
正定不退(※1)に仕上がるお念仏の花を共に咲かせていきます。

 

※1 正定不退:正定聚不退転のこと。阿弥陀仏の信心をいただくとき、ただちにさとりの浄土へ生まれて仏となる身が決定し、決して退くことがないこと。

(おわる)

カテゴリー:法話

投稿日:2026年02月01日